| [略 歴]
■渡瀬
謙(わたせ・けん)。神奈川県出身。1962年1月6日生まれ(シャーロック・ホームズと同じ)。
小中学校では自他ともに認める無口な性格で、友だちと遊ぶよりも、ひとりで森や川に行って遊んでいるほうが好きなおとなしい少年だった。
高校2年のときに大病を患い、死に直面したことをきっかけに、大きな挫折と同時に人生観が変わる。
■明治大学商学部商学科をギリギリで卒業。今では東証1部上場だが入社当時は2部だった精密機器メーカーに入社。新規部隊に配属されて、全国に出張しまくる楽しい日々。思えば最初の就職から新規営業をやっていた。
■2年後、名古屋営業所開設とともに転勤。肩書きは所長だが、実際は経理から営業まですべてをこなす雑用係。ここでひとりで事務所を運営する知識を得た。
■しかしとってもクレームの多い製品だったので、売れば売るほどクレーム処理係に‥‥。それがかえってトラブルに対する耐力が強化され、営業力は向上した。クレームから受注に繋げるワザも習得したが、いかんせん製品に愛着が持てず、本当に仲のいいお客さんには他社製品をすすめるありさま。
■このままこの会社にいても自分にも会社にもマイナスになると判断して入社4年目に退職する。
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■次に選んだのは、当時事件の真っ只中だったリクルート。よく報道陣をかき分けて銀座の本社ビルに入っていったものである。本当は制作に興味があったが、営業経験しかなく自分でも自信がなかったので、ここでも営業となる。
■入社しておどろいたのはメンバーの能力とやる気の高さだ。前社とのギャップの大きさに戸惑いはしたが、なんとかペースをつかみ、1年目にして全国営業達成率トップとなる。
■そしてそこで出会ったフリーの人たちに強く影響を受ける。カメラマン、コピーライター、デザイナー、イラストレーターなど自分の能力でお客さんと対等に仕事をしている姿にあこがれた。べつにコミュニケーションをとれないわけではないのだが、人が大勢いる会社が苦手だと思いはじめたのもその頃。
■思えば高校生の頃から決まったグループに所属しない一匹狼的なヤツだった。そんな自分にとってフリーで仕事をやるというのはまさに理想の姿だったのだ。
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■退職後、リクルートの仲間同士での会社設立に参加するが、クリエイティブの仕事をめざすべく数カ月で辞める。知人の制作会社に見習いというかたちでコピーライターの仕事を教わる。
このとき28歳。
■その後、再びリクルートで制作として1年間を過ごすなど、制作プロダクションを2〜3社渡りながら、技術と知識、そしてなにより人脈を広げる。
■32歳のときに有限会社ピクトワークスを設立。コピーライティングだけでなく、デザインや印刷などクリエイティブ関連をトータルに扱うようになる。ピーク時は月刊誌など数本をかかえてメンバーも8名にまでなったが、同時に自分の仕事に疑問も抱きはじめた。
■気がつくと営業とお金の計算ばかりしていたのだ。あこがれのフリーな仕事はどうしたんだ?と自問する日々。さらに追い打ちをかけるように、担当していた月刊誌が次々と廃刊・縮小となり苦境におちいる。が、そこで自ら考案した手法により新規顧客を次々に開拓。ここでの新規開拓の経験が、のちに『アポ取り革命』の開発につながっていく。
■日々の業務の傍らで、営業とフリーランス、そして経営者の経験を持つ強みを生かし、メールマガジン「営業のカンセツワザ」の執筆を開始。多くの営業マンより支持を得る。営業のアドバイスの依頼を受け始めたのもその頃。それから従来の仕事を減らしつつ、コンサルティング業務を増やしはじめる。
■バブル期より感じていた営業のあり方について疑問を持ち、営業関連の書籍を乱読。時代の変化とともに営業のスタイルも変わらなければならないと、自らの営業理論をかためる。とくに独自に考案した「新規アポ取り手法」と「初回営業のプロセス手法」においては、研修やセミナーなどで絶賛される。
■現在、初回営業コンサルタントとして精力的に企業研修やセミナー業務、及び著作業を行っている。
■著書に、『知らずに差をつける・絶対成功する営業術』(日本文芸社刊・パンドラ新書)、『初回営業の極意』(中経出版)、『営業ビジネスマナー超入門』(日本実業出版社)がある。
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